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 ニュースレター
 カンボジア写真館
ソック・サバーイ80号
2008年3月発行
目次
・収穫期のプロジェクト地を訪れて
・8年ぶりのカンボジア
・新スタッフ紹介
・まもなく完成!JVC技術学校
印刷用 PDF (402KB)
収穫期のプロジェクト地を訪れて
JVC会員担当 寺西 澄子

収穫を終え、牛車に稲束をたくさん積んで
戻ってきた村長さん。何ともいえない豊か
で幸せな空気があふれているように感じた。

 このたび広報チームの一員として、初めてカンボジアを訪れる機会に恵まれた。今回の一番の?ミッションは、「稲刈り」撮影。本当のところ、カンボジア駐在のスタッフたちが日々の活動中に、よい写真をたくさん撮っているから何の不足もない。けれど、せっかくなら田植えや稲刈りといった節目の季節に行って、村の表情を見たい。首尾よくいけば『収穫の喜び』と題する素晴らしい作品が撮れるかもしれない。というわけで、イネ・笑顔・風景の三点セットが撮れなかったら帰ってくるな、という広報部長Hさんの声を背に、「う〜ん、収穫が終わってたらどうなるのだ」とどきどきしながらカンボジアへと向かった。

 プノンペンの喧騒は想像以上だった。いたるところで建設現場が目に付く。JVCの事務所前だって工事中だったし(覆いがとれたところの写真も見たが、ガラス張りのエレベーターつきの建物ができていたので驚いた)、建材を運ぶトラックも良く見かけたし、目抜き通りの交差点には「ゴールドタワー」予定地なんていうのもあった。夜になるとネオンがともり、米大使館にはクリスマスの電飾が大きな敷地の端から端まで輝く。細い路地の真ん中には大きなゴミの山が鎮座していたが、これは朝までに回収されるのだと山アさんが説明してくれた。

 建設ラッシュのおかげで立ち退かされた人も多いようだ。プノンペンからずいぶん離れたところにある強制移住地を訪ねたが、越してきた家族のほとんどが仕事を求めて街に戻っているということだった。日本だったら自然に恵まれたベッドタウンかもしれないが、そんな悠長なことを言えるのは交通の便があってこそだ。日々街に通うにはガソリン代もばかにならない。

 シェムリアップで活動するスタッフたちは、週のはじめにプノンペンから移動して、村にある事務所で合宿しながら仕事をし、週末にまた戻るという。私たちも彼らを追ってシェムリアップに向かい、『収穫の喜び』を撮影すべく活動している村を一緒についてまわった。どこも収穫後の満ち足りた雰囲気に包まれているように感じた。稲刈りや脱穀をしているお嬢さんたちの覆面

(日差しが強かったり、稲わらの破片が飛び散ってくるため、しっかりガードしている)をはぎとってカメラを向けると、周囲に笑いが弾けた。これで任務完了。かなり強引な撮影にもかかわらず何とか許してもらえたのは、JVCのスタッフが村の人たちと関係を築けているということでもあるのだろう。

 研修の成果はどうだったんだろう?JVCの研修で学んだ方法を、自分の農地の一部で試してみたという人に尋ねてみた。「米の収量はあがったよ」とうれしそう。しかし、「家族は何人?」「家族みんな食べられますか」「不足はどれくらい」とつっこむとだんだんシュンとしてきて、年間にすると2ヵ月半分くらい足りないとか、足りない分は借りたり鶏を売ったりして補うとか、借金や出稼ぎの話などが出てきたりして、決して甘くない農村の一端を垣間見ることになった。

 山アさんは「人口の7割が農民と言われているカンボジアで、まずは自分たちが消費するだけの食物を自給するのが目標」と話す。人口が増え、街がどんどん膨張してはいるが、基盤となる農地をしっかり引き継ぎ耕していってほしいと思うのは、外から来た人間のエゴだろうか。けれども、自給率4割以下、輸入食品の安全性問題で日夜右往左往している「良くない見本」みたいな国で暮らす私としては、そう願わずにはいられない。


8年ぶりのカンボジア
越智 美奈

シェムリアップのプロジェクト地近くで。
写真左より
寺西さん、山アさん、筆者、坂本さん

 昨年12月、寺西さんに誘われ、8年ぶりにカンボジアを訪れた。最後に滞在したプノンペンは、ASEAN会議後に表通りは整えられたものの、まだまだ埃っぽい町だった。

 少し広くなったプノンペン空港に着くと、カンボジア事務所の米倉さん、山アさん、坂本さんが出迎えてくれた。すっかり日が暮れた中を市内へと向かう。道沿いに間口の狭いビルが連なり、ベトナムかと思う。途切れることのない車の列は店舗や屋台の灯りがまぶしい道を進む。ひときわ明るいガソリンスタンドにはコンビニらしいものもある。危険だからと、夜は早々に暗くなっていたことを思い、夜も気軽に出歩けるようになったことに驚く。

 翌朝は早起きして、一路オンスノールへ。丁度通勤ラッシュの時間帯で、市内へ向かう車の列、そして歩道には縫製工場へ向かうカンボジア各地から出稼ぎに来た女性の列が続く。それにしても以前は当たり前だったサンポット姿の女性を見かけない。パンツ姿は、ある意味女性の社会進出を示しているかもしれないが、サンポットが日本の着物のようになりつつあるとすれば寂しい気もする。

 オンスノールでは、間もなく終了するSARDプロジェクトで環境教育を担当しているボラさんの案内で見学する。大学を出たばかりの彼は、苦学した人ではあるが、内戦時代の陰は感じられない。ニュージェネレーションである。JVC事務所に戻ると、渋谷にでもいそうな今時の若者がTRCの受付にいた。彼は、かつて私がインタビューしたカンボジアNGO「スター・カンプチア」の代表を務めた方の子息だった。次の世代がどんどん育っていることを実感する。

環境教育に取り組むオンスノール郡の
タプープ小学校にて。校長のソー・ソン
先生(右)と話す、JVCカンボジア新世代
スタッフのボラくん。
 翌日カンボジアの人権NGO「ADHOC」を訪れてみる。以前は、1997年の内戦後に土地の買占めが激化、プノンペン近郊や地方から追われた人々が窮状を訴えに上京し、ADHOC事務所にはそうした人々が炊事や寝起きをしていた。代表のトゥン・サライさんは今も変わらずカンボジア各地を飛び回っているが(この日はラタナキリへ出張中)、事務所はゆったりとしていた。とはいえ土地買占めの後遺症は根深く、昨日オンスノールへ行く途中にインタビューした女性も危険を感じてその頃に田んぼを手放してしまったそうだ。今はその土地を借りて耕作しているが、不安定な境遇である。

 その後技術学校を見学し、午後はCLEANプロジェクト地のシェムリアップへ、国道6号線を進む。以前バッタンバンで活動するNGOスタッフからいかに激しい悪路か聞いていたので、初めて通る道にもかかわらず滑らかな舗装に妙に感動。どこまでも続く平らな道と両側に広がる田んぼ、ぽつぽつと伸びる砂糖椰子というカンボジアらしい風景が続く。途中、運転手のリツさんがポル・ポト時代に掘ったという水路を教えてくれた。山アさんも初めて聞くらしく、穏やかなリツさんとのどかな田園風景が経験したあの時代がよぎる。

 シェムリアップに到着したのは夜になってから。10年前は静かで星空がひたすらきれいだった。それ故、リトル・カオサンのような賑やかな街が信じられない。翌晩、夕食後に街灯が整備された新しい道を辿ると、ライトアップされたアンコール・ワットに出た。途中「危険を感じたらすぐ引き返そう」とやや緊張していたので、駐在スタッフともども、なんだか拍子抜けしてしまう。そういえば荷物を抱えて家路を急ぐらしいバイクも自転車も走っていた。

 乾季に入った村々では収穫が一段落し、ゆったりと余裕が感じられた。結婚式もあちこちで行われ、華やかに着飾った人々が行き交う。案内していただいたCLEANプロジェクトについてはT&Eなどで駐在スタッフが報告されているので割愛。

 たった1週間の滞在では表面をなでる程度だが、久しぶりのカンボジアは、人々がもはや戦渦に怯えることなく、将来を描けるようになったこと、何よりも本当に良かったと思った。しかし、賑やかな街も、のどかな農村も、少し話を聞いてみると不安定さが垣間見える。外国からの支援や投資ではなく、カンボジア人自身が紡いでいく日々の生活こそが確かな将来を作っていく。その時間や決定権を奪っているのは誰だろう、と今も考えている。


新スタッフ紹介
JVCカンボジア現地代表 米倉 雪子

 研修期間を経て、12月に1名、1月に4名のスタッフがJVCカンボジア事務所に加わりましたので紹介します。

会計兼総務 ドゥオング・リンダ
 字がとてもきれい。前の会社では、シンガポール人とインド人と働
いていた。大学では会計学専攻、2005年卒。24才。



シェムリアップ CLEANチーム(写真左より)

コウン・コル
 地元出身23才。農大で食品加工専攻。

エング・セイラ
 コンポントム出身22才。大学で農業専攻。

ムット・ロット
 地元出身21才。人一倍、熱心で活発。

ティー・チャントゥイ
 コンポンスプー出身22才。大学で農業専攻。


まもなく完成!JVC技術学校
カンボジアチーム 近藤 裕之


 プノンペン市内からトンレサップに架かるチュルイチャンヴァー橋(通称:日本橋)を渡るとすぐ左手に見えてくる新しい校舎と修理工場。2006年11月より移転地での建設が始まったJVC技術学校がまもなく完成します。2008年乾季に開校を予定(希望)しており、残りの工事も急ピッチで進んでいます。学校運営委員会では、修理工場の収益による自立採算での技術学校運営継続へ向け、技術学校での新しい取り組みや修理工場での新たなサービスなども検討されているようです。移転が完了すると、政令により技術学校は公共事業運輸省から労働職業訓練省へ移管されることになっています。
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