| ソック・サバーイ69号 |
| 2006年1月発行 |
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目次
カンボジアとの出会い、カンボジアでの出会い
権威主義的統治が進むカンボジア
JVCプロジェクトの周りの社会問題
農村金融と農民たち
不公平
編集後記 |
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| カンボジアとの出会い、カンボジアでの出会い |
カンボジアボランティアチーム 松井 梓
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私がカンボジアへ行くことを決めた理由は、とても単純なものでした。あまり深く考えていなかったのかもしれません。ただ、途上国に行ってみたい、そう思っていました。自分のこの目で見て、肌で感じたい、そう思ったのです。
いざシェムリアップに着くと、まさに驚きと感動の連続でした。人通りの激しい通りでは、始めは道を渡るのにも戸惑いました。この旅で何度、「あぁ、自分は日本人だなぁ」と痛感したことでしょう。日本での常識が通じないところが興味深くもあり、逆に日本の常識が滑稽でもありました。
訪れた孤児院で、ある19歳の青年と話す機会がありました。私と同年齢であった彼は、母国の現状や将来を真剣に考えていました。「初めて会った日本人にこんなことを話すのは初めてです。」流暢な日本語で、彼はカンボジアについて語ってくれました。彼の通う高校は、政府によって半分が売られてしまい、ホテルになってしまったこと。教師の不正が横行していること。政治に関する教育はあまりなされておらず、ポル・ポト時代については村の人たちから聞くしかないこと。今日でも政府批判をすることは危険であること。どれも私にとっては信じられないことばかりでした。
彼は自分の夢も語ってくれました。「日本語の通訳になりたいです。昔は医者になりたかった。でも、医学を勉強する環境がないので諦めました。」彼からの手紙には、カンボジアをいい国にしたい、そんな思いが溢れていました。
現地のガイドの方も、内戦で両親を失っています。彼の笑顔はとても魅力的。もう傷は癒えたのだと言います。お別れの時に、彼は言いました。「カンボジアは長い間ずっと戦争でした。でも戦争は終わって、カンボジアは平和になりました。ここはもっともっといい国になります。」
カンボジアの現状は、私たち日本人の基準では完璧なものとは程遠いように感じます。しかし、カンボジアは今「発展途上」であること、つまり物質的にも、社会的にも豊かな国になるための移行期にあること、そしてその中で私たちにも役割があることを、今回の旅で強く感じました。
私のカンボジアでの日記帳には、孤児院である少女が私の髪に挿してくれた花が、今でも綴じられていて、3ヶ月たった今でもほのかな美しい香りをさせています。わたしのカンボジアでの思い出もそしてカンボジアに対する思いも、この花同様ずっと色褪せることはないと思います。
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| 権威主義的統治が進むカンボジア |
上智大学大学院/カンボジアボランティアチーム 山田 裕史 |
カンボジアでは2006年1月、現体制下で初となる上院議員選挙が実施されます。2005年5月に野党サム・ランシー党が国会審議をボイコットするなかで制定された上院議員選挙法によれば、一般市民に選挙権はなく、国民議会議員(123人)とクム/ソンカット評議会(=地方評議会)議員(11,261人)にのみ選挙権が与えられています。これらの議員を所属政党別にみてみると、68.3%が与党第1党であるカンボジア人民党、19.7%が与党第2党のFUNCINPEC党、12.0%が野党サム・ランシー党に所属しています。選挙権を持つ上記の議員は通常、自分が所属する政党に投票すると考えられるため、もしこれらの議員が全員、自分が所属する政党に投票すれば、人民党が44議席、FUNCINPEC党が10議席、サム・ランシー党が3議席獲得するという選挙結果が予測できます。
上院議員選挙法の制定過程において、選挙監視NGOをはじめとするカンボジアの市民社会は、18歳以上の一般国民にも選挙権を与えるべきことや、無所属候補の出馬が認められるべきことなどを再三にわたって政府に働きかけてきました。しかし上述のように、選挙をする前から既に結果がみえているような選挙法が制定されたため、カンボジアの2大選挙監視NGOは「時間と資金の無駄」であるとして、上院議員選挙の監視活動を行わないことを表明しました。国内の主要選挙監視NGOの不参加のもとで選挙が実施されるのは、今回が初めてとなります。
上記の上院議員選挙法の制定を一例として、最近のカンボジアでは政治的権利と市民的自由の後退が随所にみられます。以下、権威主義的統治が強まる最近のカンボジアの政治情勢を簡単に紹介します。
野党排除の動き
国民議会における野党の影響力を排除しようとする動きが本格化したのは、2003年国民議会議員選挙で野党サム・ランシー党が首都プノンペンで第1党となり、全国で24議席(前回+9議席)を獲得する躍進をみせた後でした(人民党は73議席、FUNCINPEC党は26議席を獲得)。選挙後、政党間の政治的対立によって約1年におよぶ新政府の不在が続きましたが、2004年7月にフン・セン人民党副党首を首班とする人民党とFUNCINPEC党の連立内閣が発足しました。翌8月、人民党とFUNCINPEC党は国民議会内に設置されている9つの委員会の委員長ポストのみならず、委員ポストまでもすべて2党で独占し、議会運営からのサム・ランシー党の締め出しを図りました。
さらに、与党が全議席の8割を占める国民議会は2005年2月初旬、フン・セン首相とノロドム・ラナリット国民議会議長・FUNCINPEC党党首に対する名誉毀損などを理由に、サム・ランシー党首をふくむ野党の3議員の不逮捕特権の剥奪を決定。3人のうち1人は即日逮捕され、サム・ランシー党首ともう1人の議員は海外への亡命を余儀なくされました。国民議会のこの決定に抗議したサム・ランシー党は、7月下旬までの約半年間、上院および国民議会におけるすべての審議をボイコットしました。
サム・ランシー党による審議のボイコットの影響もあり、国民議会は2月以降、定足数(議員総数の10分の7=87人)に達せずに本会議を開催できない日が続きました。そこで人民党とFUNCINPEC党は憲法を改正し、定足数を5分の3(=74人)に削減しました。人民党は73議席を有するため、FUNCINPEC党の議員が1人でも出席すれば本会議を開催できるようになったのです。上述の上院議員選挙法は、定足数の削減によって国民議会本会議が再開された直後に、人民党とFUNCINPEC党の全会一致で可決されました。
政治的自由・市民的自由の後退
以上のように、最近のカンボジアでは国民議会における野党の影響力が著しく低下しています。他方、現在の上院の構成は61人中、国王が任命した議員が2人、人民党所属議員が31人、FUNCINPEC党所属議員が21人、サム・ランシー党所属議員が7人となっています。しかし、先述のような選挙法のもとで上院議員選挙が実施されれば、立法府における野党の影響力はさらに低下することになります。
野党の政治的自由が制限される傾向にある一方で、自由選挙の前提となる表現・集会・結社の自由などの市民的自由の度合いも十分に保障されているとはいえません。首都プノンペンでは2003年1月の反タイ暴動以降、政府に批判的とみなされるデモはたとえ平和的なものであっても、「治安・秩序の維持」や「政治的安定の維持」を理由にほとんど禁止されています。地方では与党と不可分に結び付いた村長や警察などが、野党の集会を妨害するという事件が各地で報告されています。また、2005年10月にカンボジア政府が「1985年国境画定条約に関する追加条約」をベトナム政府と締結したことについて、フン・セン首相を批判したカンボジア独立教員組合のロン・チュン代表や、ラジオ局「ソムボック・クモム」のモーム・ソーナンドー局長が逮捕されました。同様にフン・セン首相を批判した他数人の民主活動家などにも逮捕状が出ており、これらの人物は海外へ亡命したと言われています。このように、現在のカンボジアでは言論の自由が著しく制限されています。
民主化の行方
1991年のパリ和平協定締結によってカンボジアに複数政党制が導入されてから15年。国連の暫定統治下での自由選挙を経て1993年に現体制が成立したとき、国際社会の多くはカンボジアに民主化が定着するであろうと楽観的な見通しを示していました。しかし、1997年の人民党とFUNCINPEC党の武力衝突における前者の勝利、および1998年国民議会議員選挙での人民党の勝利を経て体制は政治的安定を獲得したものの、民主化は停滞、または後退しているといわざるをえません。過去の選挙(1998年国民議会議員選挙、2002年クム/ソンカット評議会選挙、2003年国民議会議員選挙)では、与党が大半を占める国家選挙委員会の中立性の問題、殺人をふくむ政治的理由による暴力事件の多発、野党のメディアへのアクセスの制限、カネやモノによる票の買収などの問題が報告され、選挙の形骸化が進んでいるとの指摘もあります。
カンボジアでは今後、人民党主導の権威主義体制(特に、実質的な統治権力が単一政党に集中するシンガポールやマレーシアのような政党型の権威主義体制)が確立するのでしょうか。今年1月の上院議員選挙に続き、2007年にはクム/ソンカット評議会選挙、そして2008年には国民議会議員選挙と、3年連続で選挙が続きます。今後も、引き続き現地の動向に注目していきたいと思います。
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JVCプロジェクトの周りの社会問題
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| カンボジア事務所のスタッフに、JVCプロジェクトの周りの社会問題について教えてもらいました。 |
(カンボジアボランティアチーム訳)
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| 農村金融と農民たち |
農村開発担当フィールドスタッフ キム・シモン
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JVCの活動地、カンダール県オンスノール郡マカッ集合村とトゥールプレッチ集合村に住む人々のほとんどは農民である。稲作の他には、やし砂糖や工芸品を作っている。資金が足りないのでどうするかというと、村の商人から8〜15%の金利でお金を借りたり、ACLEDA、ARUNRAK、PRASAC、AMARITHといった農村金融機関からは4〜5%の金利で借りている。本当にたくさんの農村金融機関が村に入ってくるようになった。
JVCやその他のNGOの多くは、2〜3%という低利でお金を借り合うグループの設立を支援することによって、村人の問題解決を助けてきた。それによって、外部者からお金を借りなくてすむのだが、最近では農村金融機関が入ってきて、農地を担保に農民にお金を貸し始めている。簡単に借りられるが、村人の何人かはそれでバイクを買ったり、他の借金を返したり、生活資金に使ったり。結果として負債は増え、結局は牛、田んぼ、家、自転車、バイクなどの財産を手放さなければならなくなっている。
このことからわかるのは、クレジットグループ、そして農村金融機関の創設は、ポジティブな結果も、ネガティブな結果ももたらし得るということだ。NGOやカンボジア政府、銀行が、農民の状況をしっかりチェックし、負債を返す可能性があるのかどうか確認した上で、農民が返せる規模のみ貸すのであれば、ポジティブな結果を得られる。そうでなければ、農民の借金増に寄与するだけで、そうした負債は次の世代に受け継がれていってしまうのだ。
クレジット活動を促進するNGOや銀行は、農民の生活向上目的でローンを実施する前に、彼らの返済可能性について注意して調査すべきだ。自分たちの実績、そして自分たちの収入のために、農民たちを「マーケット」として扱ってはならない。
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| 不公平 |
TRCアシスタント イン・コック・エン
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今年の5月、事務所から帰宅する夕方のシハヌーク大通りで、オートバイ同士の事故に遭遇した。被害者はバイク・タクシーの運転手で、男性客を後ろに乗せた彼のバイクに、通りを渡ってきた別なバイクがつっこみ、バイク・タクシーの運転手と男性客はひどく怪我をした。つっこんできたドライバーは、仲介のために第三者を呼んできた。
警官とこの仲介者は一緒には来た訳ではないが、事故現場に同時に到着。バイクの周りに集まっていた人々は、警官の対応に憤慨して「なぜそんなことをするのか」と口々に叫んでいた。なぜなら、仲介者がお金を出して警官のポケットに入れていたからだ。そしてこの警官は怪我をしていた被害者のバイク・タクシー運転手をたたいて路肩の方に移動させ、事故を起こしたもう一人のドライバーは自由になった。私はこの様子を見ていて救急車を呼んだのだが、救急車の運転手は「100ドルあるか」と私に聞き、なければ救急車は来ない、と言うのだ。そんな風に言われて私は何もできなかった。被害者を心から気の毒に思うだけで。その後、怪我をしたバイク・タクシー運転手は、彼のおじさんによって病院に連れて行かれた。
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編集後記
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| 2005年も残すところあと数日。皆さんにとってはどんな年だったでしょうか?良い年だった人もそうでない人も、何事も昨日より今日、今日より明日、とだんだん良くなると思って新年を迎えたいですね。カンボジアの将来も明るいものとなりますように。2006年も「ソック・サバーイ」をよろしくお願いいたします。(小辻 摩希子) |