
調査研究・政策提言担当:高橋 清貴
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「テロ対策」というチャンスにつけ込む国家
9.11が起こってから1年後のJVC機関誌『トライアル・アンド・エラー』の誌上対談で、私は、アメリカの行っている「テロとの戦争」はオサマ・ビンラディンなど資本主義を利用して力をつけた自分分身と戦おうとするもので際限がなく危ういし、アメリカが自分自身を倒さない限り「影」のような存在である「テロ」はなくならないのだからブッシュ大統領が自ら表現した「無限の正義」を求める戦争というのは言い得て妙である、と述べた。
9.11とその後のアメリカの対応は、世界をこのような暴力連鎖の無限スパイラルに引き込んだ。しかし、自ら国際社会のあり方についてのビジョンを持たない日本にとっては、すべてを説明できる「金科玉条」を得たようなもので好都合だった。小泉首相も、「俺はついている」と述べた。どのような悪策でも美しく見えさせる魔法の杖、「テロ対策」という言葉を政府は手に入れたのだ。
9.11以後、「テロ対策」という言葉は、政策の至る所で使われるようになった。特に、海外を舞台にする「国際協力」は、その影響を真っ先に受けた。政府が行う開発援助(ODA)は、その主要政策である「ODA大綱」と「中期政策」を、それぞれ10年ぶり、5年ぶりに改訂し、いずれにも、「テロ対策」という言葉を新たに盛り込んだ。政策は、具体的な実施を伴って、はじめて意味を持つ。そして今年、それが形になって表れた。ODAによる「武器供与」である。政府は、6月にインドネシア、8月にフィリピンと立て続けに、「海賊対策・テロ対策」を名目に巡視船艇という武器をODAで供与することを、国会審議もなく閣議決定だけで決めた。小さな報道があっただけで、多くの市民はこのことを知らない。実は、2年前に日本がアメリカにミサイル防衛の技術協力をすることを決めたときに、「海賊対策・テロ対策」が目的であれば武器輸出は例外扱いとすることをセットで決めていたのである。マスコミの報道が小さかったのは、既にニュース・バリューが失われていると判断したためだ。事態は報道よりも遙か先を行っている。そして今回、ODAによる武器輸出の前例ができた。こうして、日本はじわじわとアメリカが始めた「テロ戦争」というスパイラルに落ち始めている。一方のアメリカでは、「テロ」に武力で対応するのは間違いではなかったかという議論が起こり始めているというのに。
日本の政治は、流れに流されやすい。9.11が、そういう政治体制をもたらしたと言えるかも知れないが、むしろ心配なのは市民の側が自らバランスを取る力を失いつつあるのではないかということだ。2年前、イラクで人質となったボランティアに対する政府と一部市民の「自己責任」バッシングの大合唱は、その露われの一つである。
自らが自立した価値判断を持ち、それを社会のシステムに反映させていく「民主化というプロジェクト」は、日本では未だ達成されていない。NGOの役割を問い直す時が来ている。
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