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2016年10月 6日

南スーダンの首都ジュバ、緊急支援日記(1)

JVCスーダン現地代表 今井 高樹
2016年10月12日 更新
着陸直前の飛行機から見たジュバ。手前がナイル川、西岸にジュバ市街が広がる。写真奥の山がジェベル・クジュール。この山の周辺が7月の戦闘の主戦場となった。着陸直前の飛行機から見たジュバ。手前がナイル川、西岸にジュバ市街が広がる。写真奥の山がジェベル・クジュール。この山の周辺が7月の戦闘の主戦場となった。

9月、南スーダンの首都ジュバへの出張を行いました。今年になって初めての出張です。

日本でも大きく報道され、また前号にも書きましたが、ジュバでは7月に大統領派の軍(政府軍)とそれに反対する副大統領(当時)派の軍との間で大規模な戦闘が起きました。市内の各所で4日間にわたり続いた戦闘では多くの人々が犠牲となり、一時的に4万人もの避難民が出たと報じられています。

8月も後半になると、市内中心部の治安はやや落ち着いてきました。しかし、戦闘時の略奪により家財道具を失った人々、自宅周辺の治安になお不安を抱く人々は今も避難生活を続けています。また、経済破綻により年率600%(モノの価格が昨年の6倍)に達するインフレは、人々の生活に重くのしかかっています。数万人とも言われる市民が「経済難民」として周辺国に逃れたとも言われています。

昨年のジュバ出張では、JVCが過去に支援した職業訓練施設の状況を確認しました。今回の出張はそれに加えて、7月の戦闘によって影響を受けた人々への支援が大きな目的でした。

この「スーダン日記」では、出張時に見聞きしたこと、緊急支援の様子などを日記風にして何回かにわたりお送りします。

9月1日 ジュバ到着

午後、ナイロビ発のケニア航空機でジュバ空港に到着。援助関係者やビジネスマンらしき人たちで座席は8割方が埋まっていた。JICA関係者など日本人の退避は続いているが、多くの他の外国人は既に南スーダンに戻り、活動を始めているようだ。

迎えにきてくれたホテルのクルマで市内へ。「市内には多くの検問所があり、警察が車両を止め、難クセを付けて金品を強奪している。外国人は特に狙われる」との事前情報を得ていたので、私もずいぶん警戒していた。財政が破綻し、公務員や軍人への給与も満足に支払われないこの国では、役人や兵士がその特権を利用して「自分で稼ぐ」ことが残念ながら蔓延しているのだ。

しかし、検問所は影も形もなく市内の移動はスムース。後から、私の到着の1週間前くらいから警察による「小遣い稼ぎ検問」が減少したことをニュースで知った。遅配が続いていた警察官への給与の一部を政府が支払ったらしい。

9月2日 7月戦闘時に市内で横行した略奪

ジュバ在住の友人で、これまでもJVC の活動に協力してくれているイドリスさんが三輪タクシーを運転してホテルに迎えに来てくれた。これからの2週間、彼と一緒に行動することになる。

今日はまず、JVCが6年前まで職業訓練を実施していた車両整備工場を訪ねる。ホテルから大通りに出ると、中古のミニバンを改造した乗り合いバスが行き交っている。クルマの流れも人の流れも、表面的には「普通」に見えた。しかし・・

「見てごらんよ、街灯のソーラーパネルが全部外されているだろう」

運転するイドリスさんに言われて目を上に転じると、中央分離帯の街灯1本1本の上部に取り付けられたソーラーパネルが、全部なくなっている。独立後のジュバでは、おそらくは外国からの援助で、主要な道路には太陽光システムで街灯が灯るようになっていたのだ。

「7月の戦闘のときさ。兵士が全部盗んでいったんだ。政府軍だぜ。信じられるかい。自分の国を台無しにしようっていうのか」

交差点では、やはり太陽光パネルを失った信号機が動いておらず、クルマが数珠つなぎになっていた。

「道路沿いの商店は、全部やられたよ。7月11日の午後だったな」

車両整備工場では、あいさつもそこそこに、7月戦闘時の話になった。7月8日の大統領官邸での銃撃戦から始まった戦闘は、11日夜の停戦宣言まで4日間続いた。その最終日の話だ。

「兵士がトラックでやってきて、銃を撃って脅しながら、商店にあるものを全部略奪していったよ」

整備工場スタッフは、口々にそう話してくれた。工場の塀の向こう側にはバラック造りの衣料品や雑貨の店が並んでいるが、そこも全部「やられた」という。

「その時、整備工場には誰かいたんですか?」
「もちろん、警備員が門の脇の警備小屋にいたさ。銃声を聞いて、すぐに反対方向に逃げ出したって言っているよ。何かあったら命の方が大事だからな」
「じゃあ工場は・・・何か略奪されたものは?」
「幸いにも、何も取られなかったよ」

私が意外そうな顔をすると、スタッフは少し苦笑しながら

「警察官が何人も工場の敷地に来て、守ってくれたんだ」
「えっ警察が?頼んだんですか?」
「いや、そうじゃなくて・・警察官が、表通りの兵士を避けてここに逃げてきたのさ」

警備小屋で、「事件」があった7月11日に警備をしていたジョセフさんに会った。

「おう、タカキ、いつジュバに来たんだ」

彼はJVCが工場を運営していた時代からの警備員で、私のこともよく知っている。

「昨日着いたところだよ。戦闘が起きた時は大変だったって聞いたけど・・」

私の質問など耳に入らないかのように、ジョセフさんは少し怒ったように、

「タカキ、ジュバはダメだ。とんでもないよ」

と言い始めた。

「カネがある連中は、みんなウガンダに逃げてしまった。残っているのは、逃げるためのバス代も払えない人たちばかりだ」

彼の話では、毎日のように物価が上がり、とても家族を養えないという。

「トウモロコシの粉は、今じゃ1袋(50KG)2,500南スーダンポンド(以下ポンド)だ。ちょっと前まで600ポンド。その頃だって値段が高いってみんな文句を言っていたんだ。豆はバケツ1杯120ポンドだったのが、今は800ポンドだ」
(※9月前半の為替レート:1ドル=75~80南スーダンポンド)

ジョセフさんが「ちょっと前」と言っているのは、数か月前らしい。現地通貨南スーダンポンドの為替レートが下落するのに合わせて物価は上がり続けてきたが、7月の戦闘を境に一気に上昇したと皆が言っている。他方で、ほとんどの市民の給料は少しも変わっていない。物価が数倍にもなる中で、どうやって暮らしているのか。

整備工場の近くにあるトタン屋根の食堂に入った。大きな鍋の中で豆のシチューが煮えている。お腹が空いているわけではなく、久し振りに女主人のアラバさんの顔を見にきたのだ。ミルクティを注文して席についた。

アラバさんも、私がジュバにいた頃からの知り合いだ。再開の挨拶をしばし交わしたあと、戦闘の時の様子を少し尋ねてみた。彼女の家は、ジュバの西側にそそり立つジェベル・クジュール(魔女の山、の意)の麓にある。激しい戦闘があったと伝えられる場所のひとつだ。

「その時は、家から避難したんですか?」
「避難したら略奪されるからね。家にいたよ。それに、いきなり家の近くで撃ち合いが始まったんだよ。避難するヒマもないじゃないか。7月10日の朝だったね」

2日間、家の中でじっと息を潜めていた。戦闘が鎮まった後、外に出てみると路上には数えきれない市民、兵士の死体が並べられていたという。

「近所の人で殺された人もいた。避難した人もいたけど、そういう家はみんな略奪されたよ」

略奪を覚悟して避難するか、危険を承知で家に残るか。皆、難しい判断を迫られた。生き残り、略奪も受けなかったアラバさんは幸運だったのだろう。

続く

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