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スーダン難民キャンプ「イーダ」からの現地便り

2012年6月22日 更新

本日6月20日、「世界難民の日」を迎えました。今日この日も、スーダンから幼い子をかたく胸に抱き、空腹をこらえながら国境を目指す人たちがいます。

2011年6月のスーダン内の内戦勃発から、今年2012年3月には南北スーダン間の武力衝突に拡大した紛争により一般の人びとが大きな被害を受けています。多くの人が殺され、暴力をふるわれ、さらに多くの人が自分の家と畑を後にして、避難しました。

配給の粉ミルクを抱える女の子配給の粉ミルクを抱える女の子。(安全上の理由により顔の部分をぼかしてます)

戦闘がなお続く南コルドファン州(スーダン領)から、国境を越えて、南スーダンへ入る人は日に300人とも500人ともいわれ、現在5万人以上が南スーダンのキャンプに身を寄せています。

キャンプ「イーダ」(南スーダン共和国ユニティ州)からJVCスタッフ、ジョージ・オケロの報告を紹介します。

(キャンプの様子をお伝えするため写真を掲載していますが、いずれも本文の登場人物とは直接関係はありません。)

キャンプ「イーダ」現地便り

ジョージ・オケロ(JVCスーダン事務所スタッフ)

クク・タヤラ・カフィ(7歳)のこと

配給された服に子どもを着替えさせるお母さん配給された服に子どもを着替えさせるお母さん

4月のはじめ、わたし(オケロ)はイーダキャンプで二度目の衣料品の配布をようやく行うことができました。JVCは子ども服の配布をするため、配布方法は二つありました。

  1. 各村や各ブマ(集落)で組織される委員会が配布する
  2. 保育園の世話人である大人たちが配布する

配布の折に、ふと気がつくと、色あせたボロボロの服を着て悲しそうに泣きながら座っている子供を見かけました。わたしはちょっと仕事の手を止めて、なぜ泣いているのか聞いてみることにしました。

「おはよう。ぼくはJVCで働いているオケロだよ。子どもたちのために洋服をもってきたんだよ。きみはなんていうの?どうして泣いているの?」

「ぼくはクク・タヤラ・カフィ・・・ウドゥ村から来たんだ・・・ぼくのお母さんは飛行機の爆撃で殺されたんだ。村の人たちはその時は自分たちが逃げることで精一杯だったんだ。2人の兄弟と一緒に隠れられる洞窟を探しながら逃げたけど、地面に横たわって血だらけで死んでいるお母さんと、雨のように降ってくる爆弾の光景は忘れられないくらいひどかった。誰かお母さんのことをどうにかしてくれないか聞いてまわりながら、ぼくらは泣いていたんだ。

爆撃が少し落ち着いた後に、ぼくらは山を下りるように言われて、大人たちと一緒に村から出たんだ。後から、自分たちはイーダに向かっていると分かったよ。もってきたものは今着ている服だけ。

今はおばさんと一緒にキャンプで暮らしているよ。でも、着ていく服がないから、学校には行けない。」

わたしは男の子に尋ねました。
「ブマの世話役から洋服はもらったの?」
「ブマの人にも学校からももらわなかった。」

さらに、わたしはかれに「もし学校に行けたら、将来は何になりたい?」と尋ねてみました。
「医者になりたいな。」
「パイロットはどう?」
「パイロットにはなりたくないよ、空から人を攻撃することになるかもしれないから。あなたはぼくに人を殺してほしい?ぼくは医者になって、傷ついている人たちを助けたい。」

わたしは少年ときょうだいの3人に洋服を渡した。男の子は嬉しそうに歌い始めた。
「ぼくは明日から学校に行って、医者になるんだ。」

ひとりでお洗濯ひとりでお洗濯
3服を着替えさせる筆者と子どもたち3服を着替えさせる筆者と子どもたち

ハボバと孫のこと

キャンプでの子ども服や石鹸の配布が終わったあと、難民家族から聞き取りを行いながら、子どもたちへの衣料品配布がどのような効果があったか、確認していました。今は戦闘が起きているさなかなので、どの人も、家族や仕事仲間を失った人々の悲しい状況を見ています。わたしも、地べたで寝る子供たちや、破れたボロボロの服で、毛布もなく寝る60歳以上のおばあさんを見てきました。

ある日、30歳くらいの女の人と40歳くらいの女の人が木の枝を切り落としているところを見かけました。彼女たちは、家族を冷たい風から守るために「ラクバ」と呼ばれる囲いを作っているのです。

粉ミルクと石鹸(青い棒状のもの)を囲んで粉ミルクと石鹸(青い棒状のもの)を囲んで

彼女たちと話ができるかもしれないと思い近寄ってみると、その近くに女の子2人と男の子2人の子どもがいることに気がつきました。かれらの目はひどく不衛生な状態でした。かれらは砂だらけの汚れた手で目をしきりにさわっているのです。わたしはすぐに水と石鹸をもってきて、1日に最低3回はこれで手と顔を洗うように言って、石鹸を渡しました。サイズの合いそうな洋服も渡しました。

かれらのおばあさんは、涙を流しながら、有難うとわたしに言いました。少し彼女と話せないかと質問してみました。

「わたしはオケロといいます。人道支援を行うNGO、JVCで働いています。いまは、子供や女性たちに服や石鹸を配布しています。あなたにどんなことが起こったのか、話していただけませんか?」

おばあさんは語り始めた。

「ステイア村から来たトット・カフィ・ククです。ステイア村での戦闘はあなたもお聞きになったことでしょう。村には女や子ども、年寄りが多く、1,000人以上の人がおだやかに暮らしていました。ところが、今年2012年の2月9日木曜日、午前10時ごろに、いきなり爆撃が始まりました。雨のように爆弾が降ってきたので、岩の裏に隠れるためにわたしたちはみんな山の上を目指して走りました。間もなく、爆撃機が山に爆弾を落としはじめ、反撃がないことから敵軍がいないと判断し、山を包囲し、隠れていたすべての人々を捕まえました。捕まった人数は400人以上いたと思います。」

ハボバ・トットはまた泣き始めた。

「わたしの娘2人と孫たちは行方不明です。殺されたのか捕まったのかさえ分かりません(かれらに祝福あれ)。わたしたちは南に向かって逃げました。かれらは私たちを狙って撃ち始め、多くの女や子どもが倒れましたが、川べりにたどり着くまではその人数を数えることもできませんでした。爆撃機は敵がいないことは確実に分かっていたはずなのに爆撃を続け、命中した3人の子どもたちの体が広場に飛んだことが忘れられません。わたしたちは急いでその場から逃げました。わたしたちは食べるものも飲むものもなく、夜になっても眠ることができませんでした。

子どもたちはとてものどが乾いていて言うことを聞かず、何人かはでたらめな方向に逃げ出してしまいました。かれらがどこに行ったのかは分かりません。死んでしまったか、捕まってしまったのかもしれません。

次の日の朝5時ごろにわたしたちはある村に到着しました。その村の人々は一日中ひびきわたる爆撃音をきいてすでに全員どこかに隠れていました。わたしの娘と、息子の嫁は必死に子どもたちを守りました。目の病気は爆弾の煙にすぐそばであたったことが原因だと思います。

日がのぼり、村の人々はよそから来た女こどもが疲れ果てて座りこんでいるのを見つけました。長老たちは水をもって私たちの場所に助けに来てくれました。

この前の雨季には爆撃機が飛んできていたために耕作がまったくできず、援助物資もなかったため、3ヶ月間はまったく塩なしですごさねばなりませんでした。女たちは子どもたちに食べさせるために木の葉を集めていました。わたしたちは2ヶ月間、木の葉だけを調理して生きてきたんですよ。

国境までは歩いて2日だと聞いたのですが、近道は安全ではないため、山をまわって行かなければなりませんでした。唯一の安全な方法は夜に歩くことでした。結局イーダに着くまで5日間かかりました。

わたしたちは飲み物や食べ物、服すら持ってくることができず、身一つで逃げてきました。わたしたちは3日前にここに着いたのですが、あなた以外にわたしたちの様子を見に来てくれた人は誰もいませんでした。この子たちに衣服と石鹸を下さったことにほんとうに感謝しています。あなたとJVCと、わたしたちのような世界中の貧しい人たちを助けてくれる人たちに神さまの祝福がありますように。」

みんなで遊ぶのはキャンプの空き地みんなで遊ぶのはキャンプの空き地
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