[特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター]
[特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター]
 
[JVC団体案内へ]
[10ヵ国での活動へ]
[カンボジアでの活動へ] [ラオスでの活動へ]
[ベトナムでの活動へ] [タイでの活動へ]
[南アフリカでの活動へ] [アフガニスタンでの活動へ]
[イラクでの活動へ] [パレスチナでの活動へ]
[北朝鮮での活動へ] [スーダンでの活動へ]
[調査研究・提言へ]
[入会・募金へ]
[ボランティアへ]
[出張講演・資料貸出へ]
[書籍・開発教育へ]
[メディア掲載へ]
[25周年記念出版「NGOの選択」へ]
[東京事務所スタッフ日記へ]
[JVCメルマが登録へ]
[JVC会員専用ページへ]
[記念品に。名入れ卓上カレンダー]
[ビデオ「カンボジア農村開発」へ]
[JVCキッズページへ]
[JVC国際協力コンサートへ]
[JVC WEB担当者ブログへ]
「被災者に毛布を――」
 月夜の配布活動、24時間の記録。
 
パキスタン地震被災地 調査・支援報告 ■パキスタン側:10月21日更新分■
2005年10月21日 更新
 

2005年10月21日
日本国際ボランティアセンター(JVC)

支援概要

日本国際ボランティアセンター(JVC)は、事務局長 清水俊弘が14日から現地入りし、地元NGO「SPADO」との連携のもと、被害の大きい北西辺境州マンセラ県バラコットにて支援を開始しました。家屋の倒壊と寒い季節の到来時期が重なったことで、雨風をしのぐテントのニーズが圧倒的に高まっています。 10月18日から19日にかけて、簡易テントとなる防水シート・毛布・敷物のセットを約300家族分(約2000人分)を配布しました。特に物資の争奪戦に加われない状態の人や、毛布なしで夜を過ごしている人たちに配布できるよう、地元NGOや学生ボランティアと協力し、深夜に配布を行ないました。以下はその24時間の記録です。

報告者:事務局長 清水俊弘(パキスタン)

朝、手分けして毛布を調達。
 「急いで集めなくては!」

17日の晩に調達物資の確認と見積もりを出しておいた私たちは、18日の朝から手分けして物資の購入作業を始めた。

まず学生ボランティアたちには、近くのマーケットに行き、できるだけ厚めで低価格の毛布を200枚以上探すように指示。一方、私とSPADOの若手スタッフであるナイフ君は、旧市街の生地問屋街に出発。テント用に使える丈夫な防水シートを探す。3軒目に訪ねた店で、時間をくれればなんとか300枚くらいまでは用意できるとのこと。価格もリーズナブルだ。「で、いついるんだ?」と聞く店主に、「明日」と答える。「…」。しばし絶句。ナイフ君が「バラコットの人々は雨ざらしで過ごしてるんだぞ、頼むよ」と懇願する。難しい顔をした店主が、「わかった、じゃあこの通りの職人を動員して今夜一晩かけて縫いあげるよ」と言ってくれた(夜10時ころに様子を見に行ったところ、その通りだけ電気がついており、6台のミシンがフル稼働していた)。

次に、アフガン人の市場に移動、やはり防水性のあるプラスチックのマット(見た目はござ)を購入する。ここでも、値段と調達数で苦労したが、ナイフ君のねばりでなんとか250枚まで用意できた。後は、テント設置に必要なロープを買って、調達準備終了。トラックの手配とスタッフ移動用のワゴンもOKだ。

昼、強い日差しの中の積み込み。
 「いよいよ出発だ!」

午後1時出発を目指して、準備開始。まず、朝一番に毛布が届いた。続いてマットも届く。昼近くになってようやくテント用シートも届いた。順次トラックに積み込む。学生たちが汗だくになって作業をする。天気がよく、日差しが強い。ラマダン中で日中水も飲めない彼らにとっては余計にしんどいはずだ。ようやく積み込みが終わったところで、「おい、ロープがそのままじゃないか」と気づく。もう12時を過ぎている。一巻50mのロープを5mづつに分ける予定だった。「とにかく早く!」とみんなで手分けして作業を進める。そうこうしているうちに、結局2時になってしまった。

本来は夕方までにはバラコットに到着し、下調べをする予定だったが、これではペシャワールから6時間もかかるバラコットにつくのは、順調に行って夜の8時だ。とにかく、出発しなければ。

夜9時前、断食中の貴重な食事。

午後2時には出たものの、途中でお祈りの時間があり、夕暮れの飲食解禁の時間のお菓子タイム、そしてバラコットまで行ったら食事ができないということで、途中のアボタバードで夕食。早くしようと何度も言いたくなる。しかしラマダン中で日中何も飲み食いしていない彼らにとっては死活問題だ。ラマダンという断食月があるのは、食べられない人の痛みを分かち合うという意味があるそうだ。そういう意味では、地震の被害者の支援に出向こうとしている彼らの意識も普段の時よりも強いのかもしれない。

午後9時過ぎにようやく現場に近づく。当たり前だがとっくに日が落ちている。現場に近づくにつれ、にぎやかだった学生たちも静かになった。気がつくと神妙な顔で何か話し合っている。そのうち「トシ、今僕たちは対象者の特定や、支援物資と交換するカードの配り方について最後の打ち合わせをしているのだが、何かアドバイスはあるか」と真剣な顔で聞いてくる。「われわれがなぜ夜にこの作業をすることにしたかもう一度よく考えてくれ、とにかく、静かに動くことだ」と言っておく。彼らもうなずく。緊張しているようだ。

夜9時半、目的地バラコットに到着。
 「さあ、静かに配り始めよう」

それから間もなく、路上に野宿する人々が見え始める。気がついた運転手が車を止めるやいなや、車のスライドドアが一気に開き、それぞれの手に懐中電灯を持った10人の学生が飛び出して行った。「静かにやらないと!」という私の叫びもむなしく暗闇に吸い込まれる。先頭をダッシュしているのは運転手のサヤードさんだ。彼は興奮した顔で戻ってきて「早く彼らに毛布を渡してやってくれ。凍えている」という。どうやら彼も正義感が強いらしい。

その後も何家族か道端で寝ている人々に毛布などを渡し、ついに目的地であるバラコットに到着。この日は満月だった。月明かりの下に広がる無残な瓦礫の山に、皆呆然としている。漂う匂いも一昨日よりもきつい。タバコ嫌いの私も、さすがにこのときばかりはタバコの臭いに助けられた。

深夜0時、捨てられた古着の中で眠る人々。

「じゃあ、ここで車を止めて、グループに分かれる」とナイフ君の指示。物資配給係の3人を残し、3人づつ3つのグループに分かれて野宿者に配給カードを配りに行く。2グループは街中を、もう1グループは、ワゴン車に荷物を積んで山の方に移動。この作戦はやはり正解だったと確信する。もし昼間に配ったら、もうこの時点で人々がトラックに殺到しているはずだ。すでに皆が寝静まっているこの時間なら、こちらからゆっくり声をかけられる。支援物資の争奪戦に入れない、力の弱った人たちを探して配るためには、夜がいい。

しかし、この作業は予想以上に手間取った。なぜなら、人々は寒さに耐えるために、捨てられた古着や、布の中に埋まって寝ていたのだ。途中の道路ではその数がまばらで、それが人であることがわかったのだが、街中の広場とかではそうはいかない。とにかく目を凝らして注意してみないと、どれが人でどれがゴミなのかわからない。学生たちも悪戦苦闘の末、ようやく見分けるコツがわかってきたようだ。いわく、「よく見ていると、たまに動くものがある」

深夜2時、月明かりの中、毛布を渡す。

山間部へのグループに同行した私は、壊れた家や瓦礫の下で寝ている人を数多く見た。余震がきたら、かなり危ないはずだ。つぶれた家のほんの1mくらいの隙間で寝ている家族をみつけた。サヤードさんがさっそく駆けつける。お年寄りの夫婦と障害を持った娘がそこに寝ていた。とにかくテントを張ろうと、持ってきたロープを近くの木に結びつけうまくシートで屋根を作る。そこにプラスチックのござを敷いて毛布を渡す。一軒一軒そんなことしてたら朝になるぞと思いながら、月明かりの瓦礫道を進む。

車で行けるぎりぎりのところまでで30家族ほどにテントと毛布を渡す。皆、こんな時間に声をかけられてびっくりしてたようだが、さっそく毛布に包まって寝ていた。すでに午前1時をまわっている。正確にはわからないが、気温はおそらく5度くらいだと感じた。下に戻って、別のグループの状況をみる。かなり遠くまで歩いて配給カードを配っているようだ。トラックの近くには、カードをもらった人々が受け取りに来ている。

明け方5時、白み始める空。
 「明るくなる前に終わらせなくては」

そうこうしているうちに、3時になる。そこでナイフ君「ラマダンなので僕たちは4時までに朝ごはんを食べないと、今日一日、日が暮れるまでなにも飲み食いできなくなると」言う。配給所に言ってビスケットでももらうのかと思っていたら、「マンセラまで戻れば食堂があるはずだ」と。今からそんなことしてたら夜が明けるぞと思いつつ、確かに何も食べずにこの作業を続けるのも大変だ。

かくして、しっかりと腹ごしらえをした私たちは、再びバラコットに戻る。すでに空が明るくなり始めている。一番遠くに見える雪山の上が白く光ってきた。

「明るくなってトラックが見えると人々が殺到するぞ、早く作業を終えよう」と気合を入れなおす。今度は、郊外の斜面にいる人々を見に行く。学生たちはさすがに若いだけあって、徹夜の作業であるにも関わらず、斜面を軽々と登っていく。ここでも彼らは次々に寒さに凍えている人々を見つけて、毛布との引き換えカードを渡している。明け方に近い、最も寒い時間帯だ。

下に止めたトラックに、続々とカードを持った人が集まってくる。皆、「ありがとう」と手を握って丁寧にお礼を言っていく。こうしたコミュニケーションも昼間の作業では無理だったろう。ちなみに、今回地震の被害にあった地域に住む人々の多くはパシュトゥー語を話す。もちろんウルドゥーも話すが、やはり同じパシュトゥー語を言葉を話すペシャワール在住の彼らは会話がスムースだ。

午前7時、300家族に配布終了。

午前7時。夜が明け私たちのトラックが人々の目につき始めると、多くの人々が群がってきた。私たちはわずかに残った物資を、準備中の仮設テント村に託し退散した。

午前9時。かくして月夜の配給大作戦は終了した。20万人以上の死傷者を出したというこの地区の被災規模を考えれば300家族というのはたいした数ではないかもしれないが、確かに凍えている人々に間違いなく届けることができたことは大きな成果と言ってもいいだろう。とにかく、眠い。帰りの車は皆疲れきって寝息を立てていた。運転手のサヤードさんはタフだ。彼もほとんど寝ていないにも関わらず、ほとんどノンストップで6時間の帰路をペシャワールまで走ってくれた。

そしてこれから。

街が壊滅したバラコットについて言えば、この場所を再建するよりも、他の場所に一から作りなおすことになるだろう。その間、長い時間に渡って、特に寒さの厳しい時期に彼らの仮設テント暮らしは続く。防寒対策はもちろんのこと、当座であれ、基本的な生活インフラが必要となってくる。

そこで、私たちの今後のプランだが、NGO「SPADO」の代表であるラザとも話し合った末、やはりトイレの整備が必要だろうという意見で一致した。災害地でいつも問題になることだが、配給を中心とした物資の入り口はコントロールできるが、ゴミや排水、そして排泄に関する出口のコントロールはどうしても遅れがちだ。

元来水周りのエンジニアでもあるラザは、SPADOのプロジェクトとしても経験のある低コストトイレの設置を主張する。地元では資材が入りにくい現在の状況から、ざっと計算して一箇所12000〜15000ルピーぐらい(つまり2万円から3万円弱)のコストで設置は可能だとのこと。そして、地元の雇用も一定期間確保できるともいう。自分も基本的にこの考えに賛成だ。

これから早急に、技術者の手配、現地近くの資材置き場の確保、材料のコスト、設置場所の調整作業を進めてもらい、当面の活動計画を出してもらうことにした。おそらく、6ヶ月で300万から500万(設置するトイレの数による)規模になるだろう。JVCアフガン事務所の谷山とは、今後もモニタリングをアフガン事務所のスタッフに引き継ぐことで合意している。当面の間、スピーディなやりとりが必要だろう。 

 
 


 問合せ・資料請求  リンク集  個人情報保護方針  リンク時のお願い

 
すべてのコンテンツ(一部を除く)の著作権はJVCおよびその関係者に帰属します。 サイトマップ