曲目紹介:ヘンデルと『メサイア』について
ドイツで
1685年、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(イギリスに帰化後は、ジョージ・フレデリック・ヘンデル)は、外科医の子としてドイツのハレで生まれました(バッハと同年)。幼いころからオルガン、チェンバロの才能が豊かでしたが、父は法律家にするという夢をもっていました。大学時代、4歳年上のテレマンとの交友から、オペラの楽しみを教えられ、オペラ・ハウスをもつハンブルクへ。もうすぐ20歳になるというときに、最初のオペラ『アルミーラ』を上演しました。
イタリアへ
1706年にはオペラ作曲家が夢に描くイタリアへ向かいます。オペラ上演禁止令のもと、演技はなく実質的にはオペラとは変わらないオラトリオが上演されているローマで、『時と悟りの勝利』を作曲。フィレンツェではオペラ『ロドリーゴ』を上演して成功しました。ヴェネツィアで、古代ローマ史を題材にしたオペラ『アグリッピーナ』がロングラン。感銘を受けたハノーヴァーやイギリスの外交官から、それぞれの宮廷に招かれました。ハノーヴァー選帝候から宮廷楽長に任命されたのは、25歳のことです。
イギリスに
1710年の暮れ、イタリア人歌手が登場するオペラが進出してきているロンドンに到着。翌年2月、オペラ『リナルド』でデビューしました。17年には、ジョージ1世となった雇い主が開催した、船上で楽しむコンサートのために、組曲『水上の音楽』を作曲しています。
19年、ヘンデルの作曲・指揮によるオペラを聴くために設立された「ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック」では、歌手との契約も彼の仕事でした。『ジューリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)』で大成功を収めたりしていたのですが、イギリスに帰化した翌年の28年、アカデミーは財政的な事情から幕を閉じました。人気を博していたのが、イタリア・オペラを風刺する劇『乞食オペラ』です。
新たなアカデミーに向けて再出発をしましたが、英語によるオペラを支援する運動の中で、イタリア・オペラの作曲に信念をもっているヘンデルは孤立していきます。
1737年、52歳のヘンデルは脳血栓症(再発性の筋肉のリュウマチともいわれています)を起こしました。温泉治療のためアーヘンに行って、完全に回復。この滞在は、一般の人々やパトロンの好みの変化などについて考え直す好機ともなりました。しかし、オラトリオへの試みも、オペラに戻る努力も徒労に終わり、41年にはイギリスでの公演はこの年で最後になるのでは、と思うような状況でした。実際に彼の最大の作品である『メサイア』は、この直ぐ後に書かれたのです。
宗教的背景
メサイアの背景として、世界には、唯一の、生きた人格であり、今も活動する神を信じる三つの主な宗教的流れがあります。それは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教であり、歴史的にもその順で発展してきました。
ユダヤ人は、メシヤ(神によって任命された救いの主)が、やがてこの世に来るであろうと信じていました。ユダヤ人たちの中には、今もそのことを信じ続けているものがいますが、イスラム教徒は、メシヤの到来を信じておらず、キリスト教徒は、メシヤはイエス(キリスト)としてすでに到来したと信じているのです。イエスがこの世に来たことの意味は大きく、例えば、時の分け方はイエスの誕生年を境にして紀元前、紀元後とされています。紀元前をB.C.(すなわちBefore Christ、キリスト以前)と呼び、紀元後をA.D.(われらの主の年を意味するラテン語、Anno Dominiの略)としています。
キリストの到来以来、人々はその意味を様々な方法、特に音楽という形で表してきました。その最もみごとな表現のひとつに『メサイア』があります。
このオラトリオの主題は聖書から採られています。聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれ、旧約聖書は39書、新約聖書は27書から成っており、旧約聖書は、キリスト誕生以前の長い年月に渡って書かれ、新約聖書は、キリストの復活以後に書かれました。ユダヤ教徒は旧約聖書を生活の規範とし礼拝で用いており、キリスト教徒は新旧約両方の聖書を用いています。
旧約聖書は、宇宙誕生の歴史と、すべての人々が何のために造られ、どのように生きていくかという普遍的なことから始まり、それからアブラハムという人物に代表されるある特殊な歴史に向かっています。アブラハムの一族は、現在の中東地域に住んでいたセム族に属するユダヤ系の小部族で、このユダヤ人たちは、まわりの国々の人と同じような生活を送っていましたが、違っていたのは、何世紀もの間自分たちは神によって選ばれ、この世に神の意思が実現するように用いられると信じていたことです。彼らが神の道から外れる度に、預言者(あるいは神の代弁者)たちが現れ、彼らを神の道へ呼び返しました。この預言者たちは、メシヤが到来し、人々を救済する日を待ち望んでいたのです。
新約聖書は、ユダヤ人のひとりである、ある男、すなわちイエスの生涯に注目します。新約聖書は彼の生涯の最初の30年についてごく簡単にふれ、その後、彼が教えをのべ伝えた3年間のことに集中して語っています。彼の宣教は十字架上の死をもって終わりを告げます。キリスト教徒は彼が復活したことを信じているのです。
作詞と作曲
1741年8月22日のこと健康を害し貧苦に苦しみ気が滅入っていたヘンデルは、粗末な我が家へ向かっていました。教会堂のそばを通りかかった時彼は考えました。創造力が彼から去っていくのを、神は何故お見過ごしになったのだろう、と。
ところが、家のドアを開けるとそこに訪問客が待っていました。その人は裕福な素人の詩人のチャールズ・ジェネンスでした。彼はシェークスピアの書き直しによって、イギリスの評論家たちから酷評されていたのでした。
ジェネンスは自分が旧約聖書と新約聖書に基づいたオラトリオの詩を書いたことを説明し、ヘンデルに、これを見て曲をつけてもらえないだろうかというのでした。ヘンデルは、オペラではなく宗教曲を頼まれたことにがっかりし、特に関心も示さずぱらぱらと頁をめくって目を走らせました。すると、突然一つの詩句が彼の目を捕らえ、言葉は意味を持ち始めたのです。美しい旋律が心に浮かび、ヘンデルはこれを3部に分けて作曲しようと決意しました。
ヘンデルは、すぐに作曲に取りかかりました。信じがたい速さでノートの頁が埋められて行きました。彼は昼も夜も書き続け、召使が食事を運んで来なかったならば餓死していたかもしれないほどでした。まず7日間で預言、誕生とキリストの到来の衝撃を主題とした第1部を書き上げ、9日後にキリストの死とキリスト教信仰の普及を書いた第2部、その6日後にキリストの復活によってもたらされる、来るべき世界における生き方について書いた第3部を仕上げました。器楽部分を書き入れるのに2日間を費やし、9月14日に、作曲を始めてから24日後、ヘンデルは『メサイア』を完成したのでありました。そして疲れ切ってベッドの上に崩れ、17時間も眠り続けたということです。
『メサイア』は、1742年4月13日にアイルランドで大歓呼の中で初演されました。後にロンドンで上演され、合唱団がハレルヤコーラスを歌い始めた時、国王ジョージ2世は感動のあまり立ち上がり、それに続いて会場のすべての人々が立ち上がったのです。
1759年4月6日、ヘンデルは『メサイア』の演奏中突然倒れました。その希望どおりヘンデルは4月13日の聖金曜日復活祭の前の金曜日で、キリストの十字架の受難を記念する教会の祭日に亡くなりました。それは『メサイア』の初演から17年後の同じ日であったのです。
参考資料:クリストファー・ホグウッド著、三澤寿喜訳『ヘンデル』(1991年、東京書籍発行)その他

