ゆうすけ: 2012年11月アーカイブ

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前回と比べて増えてるように見えますが、1人増えただけです!
2回連続講座「南北スーダンの今を語る」の第2回を、11月6日に開催しました。
第1回ではスーダン(北)を中心に語りましたが、今回は南スーダンを主題に、JVCスーダン事業担当の佐伯さんが語ります。


南スーダン独立の経緯
南スーダンの独立を語るには、植民地時代のスーダンから語り始めなくてはなりません。
スーダンの南部(今の南スーダン)は、ケニアやウガンダの影響を受けています。植民地時代には、イギリスが宣教師をたくさん送り込んでいて、教会もたくさんあります。そういう意味で、とてもアフリカっぽい地域なのだそう。
一方の北部は、植民地時代にエジプトが間接統治しており、アラブ色の強い地域です。
植民地時代から、首都のハルツーム周辺だけで開発が進められ、地方との格差が広がりました。そしてその頃から、ハルツーム対地方という構図があり、散発的な戦闘があったのだそうです。
植民地からの独立と前後して、内戦が勃発。その内戦は、次第に東西冷戦の構造に組み込まれ、北をソ連が、南をアメリカが支援しました。


ジョン・ガランの目指したスーダン
内戦中、ジョン・ガランが南部の諸勢力をまとめ、救国の英雄的な存在になります。ガランは、ニュースーダンというスローガンを唱えていました。それは、自由、平等の下に統一された新しいスーダンの確立を目指すものでした。
国際社会は、ガランの存在を頼りに、和平合意の準備を進めました。しかしその中で、ニュースーダンは南北の手打ちの落としどころに矮小化されていきました。
2005年、和平合意が成されて内戦が終結。しかし、そこで後回しにされた問題が、今になって噴出してきています


ティーブレイク
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前回同様、ブレイク用のお茶をご用意しました。ミントティ、現地ではシャーイビッナァナァと呼ばれています。お砂糖たっぷりがスーダン流。


南スーダン独立によって、得たもの、失ったもの
南スーダンの独立によって、南スーダンの人々は自分たちの国、誰にも虐められなくて済む国を得ることができました。上記の通り、虐げられてきた歴史を持つ彼らにとって、これは大きな価値を持つことです。
しかし、失ったものもあるのではないかと、佐伯さんは語ります。
現南スーダン政府であるSPLAは、独立以前は、ダルフールの反政府勢力の仲介や、LRAとウガンダ政府の交渉を取り持ってきました。このような活動を続けられれば、東アフリカの仲裁役となることも可能だったのではないでしょうか。
しかし今では、自分たちがスーダン(北)と抜き差しならない関係にあります。LRAの掃討作戦に参加して恨みをかったり、ケニアやウガンダと国境線をめぐって揉めているところもあり、争いごとには事欠きません。


人の移動
現在の南スーダンでは、多くの人の移動が見られます。
  • 2005年に南北内戦が終結した事による国外に逃れた難民、国内の避難民の帰還
  • 南スーダンの独立に伴い、北部にいた南部出身者の、南スーダンへの帰還
  • 現在紛争の発生している南コルドファン、青ナイル州から、国境を超えて南スーダンへの避難
  • 南スーダン内の民族集団間の紛争により、主に南スーダン中央部から周辺部への避難
この動きが落ち着くまでは、今しばらく時がかかるでしょう。
難民キャンプで英語教育を受けた人々や、スーダン(北)でアラビア語による教育を受けた人々が、戻ってきてひとつの国を形成しようとしているわけで、国としての前途は多難です。


懇親会
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スピーカーの佐伯さんを囲んで懇親会です。
参加して下さったお客様も個性豊かで、お話しが尽きず、予定を1時間オーバーして23時にお開き。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

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参加者はこのあともうちょっと増えましたが、だいたいこんな感じでした!


スーダンを知るための10の質問

どこかで聞いたことのあるタイトルで始まった今回の報告会。

スーダンを知るための?は、まだ出てないんですよね。

○?クイズなんですが、それを通じてスーダンを紹介するという企画でした。

たとえば、スーダンでクレジットカードは使えるか?この質問から、スーダンがアメリカから経済制裁を受けていたという背景が見えてきます。

全10問でしたが、全問正解者はいませんでした。やっぱり馴染みのない国なんですよね。


ハイビスカスティー

報告会の途中で、ハイビスカスティーが振舞われました。スーダンではケレケデと呼ばれ、よく飲まれているそう。

今回淹れた茶葉(というか花)は、第2回のスピーカーである佐伯さんが、以前スーダンから買ってきてくれたもの。現地ではもっと砂糖をたっぷり入れるのだそうですが、程よい酸味で美味しかったです。


スーダン―差別されてきた地方の歴史

スーダンの南北の境界線は、民族グループの住んでいる地域によって引かれたものです。そしてスーダンの中央は、南部を差別して扱ってきました。差別は南部だけに限らず、西部のダルフール地方、そして東部地域と、国の周辺部は被差別地域となったのです。

「南部はアフリカ系民族、北部はアラブ系民族」言葉で言うとそうなりますが、実際にはアフリカ系・アラブ系と、ハッキリ区別することはできません。差別も民族的なものとも言い切れないようです。


ヌバ山地の文化

ヌバ山地は、スーダン南北境界の北側に位置する南コルドファン州にあります。

JVCは2010年から1年ほど、スーダンは南コルドファン州に事務所を構え、ヌバ山地で活動をしてきました。スピーカーの今井さんも、現地事務所に常駐していました。その活動中に撮った写真を見ながら、ヌバ山地の文化や歴史を紹介されました。

  • 主要作物のソルガムと、それを炊き上げて作る主食。ケニアのウガリや南アのパップと同じ調理法ですが、あちらはトウモロコシ粉で作るもので、ソルガムの方は酸味が強くて強烈なクセがあるのだそう。
  • 野菜はオクラが最もメジャーで、先ほどのソルガム料理にオクラスープをぶっかけて食べたりするそうです。
  • 森(と言っても日本の森林とはイメージが違いますが)からバオバブの実を採ったり、枝で炭焼きしたりと、その恵みも利用しています。
  • 石をよく利用する文化もあり、家に石組みが使われていたり、段々畑の土留めに石が使われていたり。
  • スーダン南北境界に近いこの地域には、ムスリムもクリスチャンもいますが、現地に古くからある伝統宗教や、その行事のほうが、人々には深く根付いているようです。例えば村の聖なる場所には石積みがしてあり、そこが祭りの舞台となる。種まきの祭りや収穫祭、男女の出会いの祭りもあって、その日は村の若者が朝まで楽しむのだそう。今井さんがミーティングで眠そうだった若者に聞いてみると、前日に祭りがあったなんてことも。
  • ハカマという歌謡グループがあり、伝統的な歌を歌い継ぐ、のみならず、新しい歌を作っていくのだそう。村長がいいことをしたら、それを称える歌を作り、村人が悪いことをしたら、それを広める歌を作る。歌が罰になるわけですね。JVCも良い活動をしたら歌を作ってやると言われたのだとか。
  • ベレンベレンという伝統楽器は、牛飼いが暇なときに弾きながら歌うのだとか。
  • 独自の言語を持っており、出稼ぎに行く男性はほとんどアラビア語を話せるが、女性では話せない人も多いのだそうです。


JVCのヌバ山地での活動

さて、そんな豊かな文化を持つヌバ山地で、JVCはなぜ活動を始めたのでしょう。それは、先に説明した中央からの差別が根本にあります。

ヌバの人々が首都のハルツームに出稼ぎに行っても、底辺労働にしか従事することができず、大規模農場に働きに出ても、学校に行っても差別される。そんな状況がずっと続いて来ました。

スーダンで長く続いた内戦、その反政府勢力の目的は、地方の権利を取り戻すこと。2005年に和平合意がなされ、南部の独立投票を行なうことが決まりますが、ヌバ山地については何も決まりませんでした。

ヌバの人々は、北部の政治への参画や、地域開発を進めることを求め、その目的のために内戦に参戦した人も多くいましたが、彼らの希望は置き去りにされました。

内戦で政府側に付いた人もいれば、反政府勢力側に付いた人もいるこの地域は、両派の共同統治下に置かれました。そして、不安定ながらも久方ぶりの平和な日々を過ごしていました。

JVCはこの地域で、平和構築・住民間の和解を進める活動をおこなってきました。


紛争の勃発と、支援の開始

2011年6月、南スーダンの独立を前に、ヌバ山地で紛争が起こり、地域人口の2/3にあたる60万人が住処を追われました。自分の村が空爆された人は、「爆弾が雨のように降ってきた」と語り、またある人は避難する中で家族が散り散りになってしまいました。避難先の同州の州都カドグリや州境を超えて南部まで、何日も徒歩で逃げた人が大勢いました。

紛争が始まった日、今井はまさに戦闘の起こった南コルドファン州の事務所にいました。JVCの事務所は民兵に略奪され、今井さんはなんとか無事に退避できました。この時の緊迫した様子はJVCブログに掲載されています。

JVC - カドグリ市街戦の夜(1) - スーダン日記


その後この地域は、スーダン政府により外国人の立ち入りが禁止されています。戦闘を逃れて避難してきた多くの人々に、海外からの支援の手が届きにくい状況にあるのです。

そこでJVCは、首都のハルツームに事務所を構え、現地スーダン人スタッフを雇い、カドグリやその周辺地域に逃れてきた人々の支援を始めました。

カドグリには約45,000人の避難民がいました。それに加え、もともとカドグリに住んでいた人々も、家を略奪され(屋根のトタンまで剥がされる!)、困難な生活を強いられていました。

当初は避難民のみを対象としていたJVCの活動も、現在は地元の被災民の人も支援対象としているそうです。


支援の内容は、まずは食料の配布。紛争が種まきシーズンに始まったため、収穫がないのです。

収穫がないということは、次に蒔く種も採れていません。JVCはその後、次の種まきシーズンに先んじて農具と種子の配布を行いました。

作物は食料になるのはもちろん、現金収入も産みます。特にオクラは良い値段で取引されるようで、オクラだけで300スーダンポンドを稼いだ農民もいるそう。これはハルツームでの1ヶ月のバイト代に相当します。


さらにヤギの配布もおこないました。ヤギのミルクは子どもの栄養食になりますし、繁殖すればそのまま財産になります。この土地にはもともとヤギを繋いで飼う文化はなかったそうですが、今では貴重な資産になってしまったからか、それとも略奪の記憶が新しいからか、家の中に繋いで大事に飼っているそうです。


現在の活動地の様子が、写真で紹介されました。避難民の家は、袋や板などをかき集めて作られていました。村にはマーケットがあり、収穫された野菜のほか、自家製のヨーグルトや野草を採ってきたものを売っています。

果樹の苗木の支援も行い、育て方のレクチャーの様子も紹介されました。この地域では、マンゴー、グァバ、レモンなどがよく育つそうです。


質問

配布する食料などはどこから調達しているのか?配布対象者はどのように決めているのか?など、活動内容を深く掘り下げる質問がいくつかありました。

回答としては、配布するものは基本的に全て地元で調達して、地元の経済にお金を落とす。配布対象者は、JVCがまずどんな人に配布したいかの優先順位(子どもだけ、お年寄りだけの世帯を優先、母子家庭を次に優先、など)を決め、それをコミュニティのリーダーに伝えて選定してもらうのだそう。ヤギの配布ではJVCが対象者を一人ひとり訪問し、伝えた条件とマッチしていない場合はコミュニティリーダーに再度相談する、ということもあったようです。


第2回

今回はスーダン(北)とヌバ山地やカドグリでの活動をメインに紹介しました。

第2回では、南スーダンにスポットを移します。なぜ南スーダンが独立するに至ったのか、その経緯や、そこで暮らす人々の様子などに触れます。また、前述のとおり、ヌバ山地からの避難民は南スーダンにも流入しています。その辺りの状況も、併せてお伝えする予定です。

ぜひお運びください!


「南北スーダンの今を語る」第2回

  • 日時:11/6(火) 19:30-21:00, 懇親会 21:00-22:00
  • スピーカー:佐伯美苗(JVCスーダン事業担当)
  • 内容: 1) 南スーダンとは 2) 南スーダンの現状と難民・帰還民について

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